平成28年の冬、「黒田材木店さんが解体されるんやって!」というニュースが飛び今できた。
だれがそのニュースを伝えてくれたのかもう忘れてしまったのだが、びっくりして黒田材木店に話を聞きにいった。
家が傾いて隣のビルに屋根の軒先がくっついてしまい、苦情が届いたのだが、そもそも家が傾いた理由が、お隣の新築工事の影響であるとゆずらなかったため、訴訟が起こってしまったことに起因する。
1年ほど争って和解したが、内容は和解とは名ばかりの「敗訴」そのものである。
要約すると、工場は勘弁してやるから、屋根のくっついている事務所を内包する主屋全部を撤去せよというものだった。
生活の場も失い、仕事の営業が難しくなるような判決というのは、一方的すぎるのではないか?
そもそも黒田さんとわたしの出会いは、友人のN氏から「面白い材木店があるから見てみると良い。紹介するから。」というような事だったと思う。
その後、私の職場の関係で、ユニークな高齢者を紹介するリーフレット作りがあり、それにご登場いただいたことで、より深く知り合うことになったのだ。
黒田さんはとてもおしゃべりがオモシロイ。
自分の事務所は、大濱浄竿がつくったのだ。浄竿はすごい人物だ。とベタ誉めで、人間「大濱浄竿」にも、彼の作った我が事務所「仰天房」もとても慈しんでいて、来る人来る人に説明せれている、、、といった状態。
事務所を「仰天房」と呼ぶのは、茶人の故・堀宗凡氏が、訪れて「自分以上の奇人だ」とびっくり仰天して「仰天房」と名付けたことにちなむ。
自分の我が子のことよりも「浄竿」という人物に惚れ込んだかのようだ。
その浄竿がつくった、「仰天房」が滅失するかもしれない・・・・
なんとか助かる方法はないものか・・・・
そんな事から、はじまりました。
つづく。